2.千葉の歴史スポット・祭

2010年7月14日 (水)

「日本が検見川から世界と繋がっていた時代があった・・・。」 検見川送信所

子供のころ、検見川と稲毛の間の台地にすごく高い鉄塔が何本も立っていたのを覚えています。千葉市内には高い建造物もない時代だったので、この鉄塔は天に届くほど高かったという記憶があります。この鉄塔群が検見川送信所の無線鉄塔でした。

検見川送信所は、旧逓信省の東京無線局検見川送信所として開局しました。
1930年には、ロンドン軍縮条約締結に際して、日米英の3国の首相が記念演説を行うことになり、日本からはライオン宰相と呼ばれた浜口雄幸首相(城山三郎の「男子の本懐」の主人公)の演説を検見川送信所からアメリカ、イギリス発信しました。また同時にアメリカのフーバー大統領、イギリスのマクドナルド首相の演説を受信して日本国内に配信しました。
これが日本初の国際放送となりました。まさに検見川から日本が世界と繋がったのですね。
また太平洋戦争中は主に南方戦線との通信拠点として活躍しました。戦後は電電公社の施設となりましたが、1979年にその役割を終えて廃止されました。

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鉄塔はすでに撤去されましたが、検見川送信所の建物は現在でも残っています。この建物は東京中央郵便局を手掛けた吉田鉄郎氏の設計により1926年(大正15年)に完成しました。

※吉田鉄郎氏が手掛けた東京中央郵便局を、日本郵政は外壁等を部分保存して再開発する予定でしたが、2009年、当時の河野総務大臣が「トキを焼き鳥にして食べるようなもの」として、再開発の変更を求めたというエピソードがあります。

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建物は主な角にアールが施され、コンクリート剥き出しの建物でありながら温かさを感じます。2007年にはDOCOMOMO JAPAN(近代建築の記録と保存を目的とする国際学術会議日本支部)より126番目の選定を受けました。
この建物は、区画整理事業により取り壊される予定でしたが、「検見川送信所を知る会」などの熱心な保存活動により、千葉市の平成22年度予算に調査費が計上され、保存に向けての第1歩が踏み出されたところです。

※詳しい情報はこちら(外部LINK):検見川送信所を知る会HP

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2010年7月 5日 (月)

千葉市の悲しい七夕:「そういう歴史があったのですか。」

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もうすぐ七夕、街のあちらこちらに七夕飾りが飾られています。子供たちの願いを書いた短冊もかわいらしいですね。でも千葉市にとっては七夕は悲しい思い出があるのです。

1945年(昭和20年)7月7日未明に千葉市中心市街地はアメリカ軍の129機のB29による空襲を受けました。
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※「千葉空襲写真誌」より

この空襲により中心市街地の大部分が焼き尽くされ、死傷者1,204人、被災戸数8,499戸、被災面積は205ヘクタールにも及びました。この空襲は「七夕空襲」と呼ばれて、千葉市民にとって7月7日は悲しい日となったのです。
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※「千葉空襲写真誌」より(市街地がほとんど焼失している)

私の母は他界しましたが、生前、七夕空襲で防空壕に避難したこと、同級生が逃げ遅れて死亡したことを話していたのを思い出します。

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平和な時代に生きている我々は、ともすれば平和の大切さを忘れてしまいますが、改めて平和の大切さを考えることが必要でしょう。
現在「きぼーる」で千葉空襲写真パネル展が開催されています。ぜひご覧になることをお勧めします。

千葉空襲写真パネル展(千葉市主催)
7月 3日~15日:きぼーる1階アトリウム
7月21日~29日:千葉市役所1階ロビー
8月 3日~16日:千葉そごう地階ギャラリー

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2010年6月24日 (木)

「はやぶさ」が探査した小惑星「イトカワ」と千葉の関係は?

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※朝日新聞2010.6.22記事より

小惑星探査機「はやぶさ」の帰還、ちょっと感動しましたね。往復に7年もかかった大旅行、しかも苦難の連続、よくぞ帰ってきたと思います。「はやぶさ」の探査した小惑星「イトカワ」は1998年に発見された小惑星で長さ300mほどの大きさしかありません。例えると「パリのカフェに転がった豆粒に東京から楊枝を命中させる離れ業」(天声人語)だそうです。すごい!

ところで「イトカワ」という名前はどう見ても日本語ですよね。実は日本のロケット開発の父と言われる糸川英夫博士の名前が付けられたのです。
糸川英夫博士は東京大学生産技術研究所でロケットの開発に携わり1955年に日本初のペンシル型ロケットの発射に成功しました。

この東京大学生産技術研究所、驚いたことに西千葉にあったのです。糸川博士がロケット開発をしていたのが千葉市内だったとは驚きですよね。
東京大学生産技術研究所は1962年に六本木に移転しました。その跡地の大部分は現在、千葉大学西千葉キャンパスになっていますが、現在でも一部が千葉実験所として西千葉に残されています。
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※西千葉の東京大学生産技術研究所千葉実験所

・千葉市科学館プラネタリウムでは「HAYABUSA」のドキュメンタリーを上映中です(6月)。千葉市科学館プラネタリウム上映予定表

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みずほ銀行のルーツが千葉に!!

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2010年6月18日 (金)

みずほ銀行のルーツが千葉に。千葉市役所との関係は?そして、えっ!?

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日本を代表するメガバンクのひとつ「みずほ銀行」、このルーツとなるのが「日本勧業銀行」です。「日本勧業銀行」は日本の農工業振興のため政府系の特殊銀行として発足し、明治32年に東京麹町に本店が建てられました。
第2次大戦後に民間の普通銀行に転換し、昭和46年には第一銀行と合併して「第一勧業銀行」となりました。ハートの銀行として皆さんご存じだと思います。
その後バブル崩壊後の銀行再編の中で、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が合併して「みずほ銀行」が誕生したのです。
さて明治32年に建てられた「日本勧業銀行」の本店建物は数奇な運命をたどることになります。

大正15年に本店建て替えのため売却され、京成電鉄が購入しました。京成電鉄は習志野市にあった谷津遊園に移築して「楽天府」と名付け娯楽・演芸場として使用していました。
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その後、昭和15年には千葉市長洲に移築され、なんと千葉市役所として使用されることになります。これにはびっくり。場所は千葉県庁の正面で、昭和36年まで市役所庁舎として使用されたそうです。
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その後昭和40年に稲毛海岸に移築され、現在はなんと千葉トヨペット株式会社本社ビルとして今でも現役で活躍しています(国登録有形文化財)。文化財の中で仕事するのも何かすごそうですね。
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それにしても、みずほ銀行の原点の建物が千葉市にあったとはびっくり、市役所として使われていたとはびっくり、現在でも千葉トヨペットの本社として活躍していることにびっくり、
トリプルビックリですね。

千葉トヨペット株式会社:千葉市美浜区稲毛海岸4-5-1

※建物及び資料の撮影に際しては千葉トヨペットの社員の方のご了解を得て撮りました。

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ほんとですか?日本の航空産業が稲毛から始まったって?

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2010年6月 8日 (火)

「戦場にかける橋」が千葉市にもあった!?

映画「戦場にかける橋」(1957年公開)は第30回アカデミー賞作品賞を獲得した名作映画です。また映画を知らなくとも「クワイ川マーチ」はブラスバンドなどでよく演奏されるので、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
この映画は第2次世界大戦中、タイ、ビルマ国境付近で、過酷な状況の下、クワイ川に橋を架けた日本軍と英国人捕虜の物語ですが、実際のところ、この日本軍というのが鉄道連隊です。
この鉄道連隊、実は千葉市にあったのだそうです。千葉市には鉄道連隊の本部と第一連隊が置かれていました。また千葉市周辺には気球連隊、砲兵学校、戦車学校などもあったそうです。今の千葉市にはその面影は全くありませんが、戦前は「軍都」だったのですね。

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この鉄道連隊の演習場だったのが、現在市民の憩いの場となっている「千葉公園」です。実際「千葉公園」にはわずかですが名残が残っています。

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名残のひとつがこの橋脚です。これは鉄道橋を架ける訓練のために使われたものだそうです。

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まさに「戦場にかける橋」の訓練をここで行っていたのですね。

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こんなものもありました。入り口だけのトンネルです。これも訓練に使っていたそうです。

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トンネルの上部には「鉄道連隊」のものらしき紋章が残っていました。 
「千葉公園、兵どもが夢のあと・・・・」

千葉公園のホームページはこちら(外部LINK):千葉公園HP

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「ラストエンペラーの皇弟といなげのゆかりは?」

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2010年5月31日 (月)

なに、「大仏」が千葉市にもあるって本当ですかあ?

大仏と言えば皆さんが思い浮かべるのは「奈良の大仏」ですよね。関東の人ならば「鎌倉の大仏」というのもありでしょう。それでは千葉県ではどうでしょうか?
「鎌ヶ谷大仏」・・、それは新京成電鉄の駅名ですね。でも実際に鎌ヶ谷には高さ1.8mのミニ大仏があるそうです。
ちなみにウィキペディアで「大仏」を調べてみると全国の大仏一覧表が載っています。この表を見るとなんと千葉市にも大仏があるではないですか!
その名も「駒形の大仏」。と言うことで「駒形の大仏」に会いに行ってきました。

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場所は御成街道が国道16号線と交差する辺り、長沼町の駒形観音堂の境内です。

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これが駒形の大仏です。建立は1703年(元禄16年)、高さは約2.4mあります。昔は露座だったそうですが、酸性雨等により痛んできたため、地元町内で屋根を掛けたそうです。

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背中一面に寄進者の名前が彫られているのがこの大仏の特徴です。

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「駒形の大仏」の前を通る御成街道です。御成街道は徳川家康が東金で鷹狩りをするために作った街道で、船橋から千葉市を通って東金までほぼ一直線です。「駒形の大仏」は江戸時代から御成街道を通る旅人を見守ってきたのですね。

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2010年5月 1日 (土)

ほんとですか?日本の航空産業が稲毛から始まったって?

稲毛海浜公園の一角に「稲毛民間航空記念館」があります。航空と全く縁のなさそうな場所がなぜ航空記念?ちょっと謎ですよね。
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実は日本の航空産業はこの稲毛の地から始まったと言われているのです。明治時代、国産第一号飛行機を制作した奈良原三次が、その4号機「鳳」号の飛行場を稲毛海岸に構えたのが日本の民間航空の発祥と言われています。彼は稲毛海岸を根拠地として全国各地で有料飛行会を開催し名声を得たそうです。
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※「鳳」号の復元機(実際に空を飛べるそうです)

でも稲毛には飛行場なんてありませんが・・?実は遠浅の海岸で潮が引いた後に、渚で飛行機を飛ばしてたそうです。なるほどね!!

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※渚から飛行機を飛ばすところのミニチュア模型

稲毛民間航空記念館:千葉市美浜区高浜「稲毛海浜公園」内

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「電気ブラン」を発明したワイン王が稲毛に?
ラストエンペラーの皇弟と稲毛のゆかりは?

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2010年3月21日 (日)

「電気ブラン」を発明したワイン王が稲毛に?!

浅草の名物バーと言えば「神谷バー」です。そしてこのバーの伝説的なお酒が「電気ブラン」、名前からして怪しそうですね。
私も一度飲みに行ったことがあります。味は名前に反してトローンとした甘口でちょっと薬用酒みたいな感じです。しかし気を許して飲みすぎると大変なことになります。結構度数が高いので悪酔いします。わたしも猛烈な二日酔いで参りました。

この神谷バーの創設者で、「電気ブラン」を発明したのが神谷伝兵衛です。神谷伝兵衛は日本の葡萄酒王と呼ばれ、牛久シャトーで葡萄の栽培、ワインの醸造をしました。

この神谷伝兵衛の別荘があったのが稲毛です。この別荘は現在も「千葉市民ギャラリーいなげ」内に保存されています(国登録有形文化財指定)。

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室内は一階が洋風、2階が畳の和室というように和洋折衷の珍しい作りです。また装飾が凝っていて、ワイン王らしくあちらこちらに葡萄がモチーフとして使われているのが素敵です。
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1階の広間、暖炉があります。

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玄関天井のシャンデリア吊り下げ部分の葡萄モチーフ

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2階和室の床の間の床柱は葡萄の巨木だそうです、すごい。

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欄間には葡萄、トンボ、蜂がデザインされています。

旧神谷伝兵衛別荘(千葉市民ギャラリーいなげ内):千葉市稲毛区稲毛1-8-35

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2010年3月14日 (日)

ラストエンペラーの皇弟と稲毛のゆかりは?

中国清王朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)、アカデミー賞の映画「ラストエンペラー」で有名ですね(坂本龍一の音楽がすごくよかった)。
この溥儀の皇弟が溥傑(ふけつ)です。溥傑は一時期、日本の陸軍歩兵学校に留学していました。この時に日本の皇室関係の嵯峨浩と政略結婚をします。

この新婚時代に二人が過ごしたのが千葉市の稲毛だったのです。当時、稲毛周辺は遠浅の海が広がり東京の別荘地帯だったそうです。そこに二人は新居を構えたのですね。

二人が過ごした住居が現在も「千葉市ゆかりの家いなげ」として保存されています。外観は木造建築の何の変哲もない建物ですが、内部は質素ながらも気品があります。
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二人の新婚の写真など当時の写真が飾られていて歴史を感じます。
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また溥傑氏自筆の掛け軸などがありました。
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歴史に翻弄された皇弟溥傑氏の人生を垣間見た気がしました。千葉にもこんな歴史が眠っているんですね。ちょっと感動でした。

※溥傑氏は晩年日中友好の懸け橋として活躍され1994年に永眠されたそうです。

「千葉市ゆかりの家いなげ」:千葉市稲毛区稲毛1-16-12

行き方はこちら(LINK):「千葉市ゆかりの家いなげ」への行き方

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2009年11月24日 (火)

下総三山の七年祭り

11月22日,23日に下総三山の七年祭りが開催されました。この祭りは6年に一度、千葉市、船橋市、習志野市、八千代市などの9つの神社が参加する揃う祭りで、550年の歴史があり千葉県の無形文化財に指定されています。

22日は船橋三山の神揃場(かみそろいば)に9基の神輿が勢ぞろいして三山「二宮神社」に参拝しました。神揃場に神輿が次々と入ってきて交代で「二宮神社」に出ていく姿は壮大で血が騒ぎます。

Sn3k0005 神揃場の畑「子安神社」神輿

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幕張「子守神社」の超重量級神輿の胴上げ

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二宮神社本殿前の幕張「子守神社」神輿

また23日未明に幕張に三山の「二宮神社」、畑の「子安神社」、幕張の「子守神社」、武石の「三代王神社」の4基の神輿が集まり磯出式が行われました。小雨の中でしたが暗闇に神輿が黄金色に輝き、幻想的な風景で感動モノでした。

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磯出式での「二宮神社」と「子安神社」の神輿

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